先日、車の免許を取得しました。教習所の教官からは「かもしれない運転」を心がける
先日、車の免許を取得しました。教習所の教官からは「かもしれない運転」を心がけるように言われました。私は「対向車がくるかもしれない」「前の車が急ブレーキするかもしれない」「曲がり角でパンを咥えた美少女
とぶつかるかもしれない」「酔った勢いなら八幡カオルを抱けるかもしれない」などを心がけています。
みなさんも心がけている「かもしれない運転」ありますか? 私もつい先日より
「DFが吉田でなければ勝てたかもしれない」
と心掛けているというか、心に引っ掛かっている感じです。
お互い安全運転を心掛けたいものですね。 「だろう」と「かもしれない」の違いについて。
「だろう運転」
たとえば、「来るだろう」「来ないだろう」は、どちらも本人の思い込みで、「来る」「来ない」は相手の意思で決まるものです。さらに、「来るだろう」と「来ないだろう」は正反対の意味で、相手がどちらの行動にでるかは予測できません。ですから「だろう」は、どうみても予測不能なことを自分で勝手に予測するわけで、大きな間違いにつながる危険があります。得てして、事故を起こす場合の多くは、自分の都合の良い「来ないだろう」と判断したことが原因によるものです。仮に、「来るだろう」と判断して危険回避ができたとしても、それも正しい判断とはいえません。「だろう」と決めつけるのは事故の元になります。
「かもしれない運転」
一方、「来るかもしれない」は、裏を返せば「来ないかもしれない」と同じ意味となり、つまり「来るか来ないか分からない」となります。「かもしれない」は、「だろう」のように相手の行動を勝手に決めつけません。予測できない危険が潜んでいることを常に認識することで、危険回避の意識が高まるのだと思います。
「だろう」と「かもしれない」の言葉尻をとらえて考えるとこうなりますが、運転経験を積むなかで、ヒヤッとしたことを忘れずに、何が安全運転につながるのかを、常日頃考えていくことが大切だと思います 「今日死ぬかもしれない」と日々一生懸命生きてます。あ、運転してます。 残念ですが私は「だろう」運転をしています。
交差点で歩行者や自転車、バイクが飛出してくるだろう。
前の車がウインカーも点灯させずに曲がるだろう。
先行する自転車は後ろも見ずに進路変更するだろう。
「かもしれない」なんて中途半端に信用するよりも、全く相手を信用しない運転を心がけています。
ご参考までに この直線坂を登りきったら
天高くジャンプできるかもしんない・・。 「かも知れない運転」?
あなたはまぼろしを予言して怯えるのですか?
「かも知れない運転」は単なる例え話です。
運転は「ネガティブインサイド」にたって予想するだけ、その予想に対して結果が不利に成らない様に操作を行う事です。
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