kom1213833234 公開 2016-3-1 12:44:00

運転免許の取得に関して疑問。皆さんの意見をお聞かせください。現

運転免許の取得に関して疑問。
皆さんの意見をお聞かせください。
現在、運転免許の取得を目指している学生です。そこで、現在の免許制度に関して疑問を感じました。
教習所では、免許取
得の前に適正審査を行ったのですが、教官によればこの適正審査で成績の悪かった人は事故率が高いとのことでした。にもかかわらず、現在の免許制度ではこのような成績の悪い人にも免許を与えています。
個人的には、免許は人の生命に関わるものであり、このような人への免許取得を制限すべきであると考えます。
確かに、「人は生まれながらにして平等である」という長い歴史から培われた平等原則に乗っ取れば、このような考え方は優生学的といえますが、このような差別は免許取得の機会を根本的に奪うものではなく(審査を受ける権利があるという点で)、電車など、現在は交通機関の整備により、移動の自由がなくなるというわけではないため、人命の安全確保という目的と比較して考えれば、このような制限はやむを得ないとすべきではないでしょうか。
それと似たような理由で、仮免、本免試験には規定回数を設け、それまでに合格できなければ免許取得はある期間、または永久的に取得できなくすべきだと考えます。かなり厳しいとの声もありそうですが、免許取得はそれほど大きな責任を伴うものではないでしょうか。
そこで、私のこの考えに対して皆さんの意見をお伺いしたいのです。法学の視点、倫理の視点、感情論、なんでも結構ですので、賛同または批判をしてください。

相原凉 公開 2016-3-1 13:34:00

難しい問題ですよね。
ご指摘は興味深く、運転適性をより厳密に把握し、
適性が低い人間にはそもそも免許を取得させない
というのは、ある意味正論とも感じました。
ただ、その適性を正しく、公正に、公平にどう把握するか?
が非常に難しい課題になると思いました。
免許は都市部ではもはや「権利的なもの」
「必須なもの」ではないのは、おっしゃるお通りです。
ですが地方ではまだまだその風潮が強いですし、
事実運転ができないと日常生活が困難なケースも
非常に多いです。
よって、以下は私の案なのですが、
・免許取得条件は現状のまま
・免許維持の条件を厳しくする
という事が有効かなと思います。
現状1回の学科試験と、
多くの場合は民間企業である教習所が行う
技能検定で免許は取得可能です。
そして、免許の維持に関しては、
・視力、色覚などの適性検査

・更新申請のみ
ということになっています。
最低限の道交法に関する理解や
運転技能は一切免許の維持に不問とされています。
ですが運転免許というものは運転資格を証明するものです。
運転に必須な知識や能力を定期的にチェックすることなく、
申告のみで長期間にわたって資格が維持できることに、
とても違和感を感じます。
なので、個人的には、
更新2回ごと(最短6年~最長10年)に
・技能確認試験
・法規確認試験
を実施すべきと思います。
当然試験不合格の場合は免許更新は不可とします。
ですが、受験チャンスは半年間付与し、
受験回数の制限は設けないという制度です。
つまり、「一定水準を満たす運転能力がない人間には
運転資格を与えない」という至極当然の措置です。
私自身は大型車も大型2輪も運転できますし、
車種問わずの場合の公道走行距離は、
多分30万km超えています。
なので、正直この制度は個人にとって100%純粋な負担増です。
ですが質問者さんが指摘されている、
・運転不適正者の問題

・最近問題になっている高齢者運転の問題
は、上記で両方とも解決されるものと思います。
当然、この制度がある前提の場合は、
高齢者講習制度は不要と思います。

前园友香 公開 2016-3-1 21:38:00

私の住む町はバスが廃線になり、電車も一時間に一本しか走りません。
タクシーでさえ、夜12時以降は営業していません。
教習所の適性診断テストは免許センターでは行わないので、教習所に行かず一発試験(一般試験)で運転免許を取得した人は、審査を受けることなく免許を手にしています。
公安委員会の適性試験は視力検査と色盲の検査くらいで、会話が普通に出来れば聴力検査もありません。
教習所の適性審査は自分の性格を知る為のもので、成績の良し悪しを判断するものではありません。

1053058705 公開 2016-3-1 20:07:00

世界の歴史の大半は、差別制度であり、世界に平等という思想が広がったのは、第二次世界大戦後です。ようやく70年くらいですね。
あなたの言っているのは、差別制度であり、平等ではありません。平等であるなら、すべての人間が等しく生きられます。特殊な試験の成績が悪いので免許を与えない。どうかんがえても差別です。もしかしたら、数%の確率で人よりも事故をおこしやすというデータがあります。それが、どうしたんでしょうか?優性なものだけを手厚くしていくというのは、差別制度です。平等だと言いたいなら、劣性のものをどのようにすれば等しく運転できるようにするのか?です。差別主義国家である日本では、なぜか制度もないのに平等という言葉を使います。ですから、劣性のものにも免許を与えるにも関わらず対応を個人のせいにします。こんなことをするなら初めから差別した方がよいのかもしれません。
日本といのは、差別主義国家であるので、あなたの差別的な解決方法が正しいと思いますが、世界は、平等という視点となっています。平等であるなら、犯罪者を社会から分離する、知的障碍者を社会から分離する。凶悪犯は、死刑にして世の中から排除する。という差別制度をなくしていこうという考えです。

109434298 公開 2016-3-1 14:14:00

適性検査はあくまでもこれから運転指導をする指導教官が参考にする資料です、視力がない、色盲、日本語がわからない、漢字が読めないなどの運転免許が交付される条件に合致しているか確認するためです
また自動車学校は私立で、公安委員会認定 実技試験免除の自動車教習所であり、免許の交付は運転免許試験場の検定試験のうち技能試験は自動車学校の卒業証明書で免除され、交通法令の筆記試験だけ受けて運転免許の交付を受けるのです
体に障害がある人でも、限定条件がつくが運転免許の交付が受けられます
日本国民の取得権利です

123567811 公開 2016-3-1 13:30:00

適正検査はあまり関係ないですよ。事故率低い人でも事故はするし、事故率高い人は見直して事故しない人もいます。あくまで検査ですから、実際、運転してみて変わる人もいます。
仮免も本免も期間内に取らなければ初めからという規定がありますよ。規定回数を設けるのは厳しいと思います。何回試験受けても事故らない人はいますからね。
質問者さんの仰られてる通りに制限すると事故は減らせると思いますが差別になると思います。
私としては体の不自由な方や緊急自動車以外はMT車にするべきだと思います。

1150929779 公開 2016-3-1 13:09:00

自動車学校で教えています。
適性検査は統計的に事故が起こりやすいので、自分の弱点を認知し気を付けましょう、というものです。この制度が出来たのは30年以上昔です。人の考えは時代と共に変わっていきますし、個人の考えも変化していきます。
この適性検査だけで取得できないようにするのは乱暴な話です。ただ自動車学校の業界内では、適性検査の値が低いと取得できない資格があります。こういったことには賛成です。

私個人の考えとしては、免許取り消しになった者についての再取得は反対です。
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