なぜ70年代のスバルの普通車てレオーネの1機種しかなかったのですか
なぜ70年代のスバルの普通車てレオーネの1機種しかなかったのですか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
例えば70年代のホンダ Hondaの普通車てシビック CIVICとアコード ACCORDの2機種しかありませんでしたが。
よく分からないのですが。
スバルもホンダ Hondaも今はほぼフルラインナップメーカーてたぶん10機種以上あると思いますが。
なぜ70年代はスバルもホンダ Hondaもラインナップが少なかったのですか。
と質問したら。
軽自動車をメインにしていたから。
という回答がありそうですが。
ホンダ Hondaは当時は軽自動車から撤退していましたが。
それはそれとして。
スバルて90年代になってからアルシオーネとかレガシィとかインプレッサとか一気に増えますが。
ホンダ Hondaは80年代からインテグラとかレジェンドとかオデッセイ ODYSSEYとかCR-Vとか一気に増えますが。
なぜ70年代のスバルてレオーネだけ。
ホンダ Hondaはシビック CIVICとアコード ACCORDしかなかったのですか。
自動車メーカーとして車種が1機種。股は2機種しかないてどうかと思うのですが。
余談ですが。
70年代はまだマツダや三菱やイスズのほうがラインナップが多かったてなぜなのですか。
スバルはレオーネの前にff-1 1300G(1970-1972)がありました。
ホンダは1300(1967-1972)と147(1972-1974)もありました。
スバルは当時提携していた日産車の製造委託してました。
ホンダは1300が販売不振で四輪から撤退するかの瀬戸際だったので、車種を増やす余裕がなかったです。シビックが大ヒットして四輪メーカーとしてやっていけるようになり、車種を増やし始めました。。 自動車の開発なんて10年位の時間が掛かります。
1970年代はイザナギ景気(1965~1970年)で庶民でもようやく小型車が買えるかもと言う状況ですので、市場もマダマダ大きくない為、トラックやタクシー等の営業車両で先行していたメーカー以外は、小型乗用車の開発に本格手に着手した頃です。
なので、1970年代の小型乗用車は、各社とも輸出の為の研究開発で作られた物が殆どですので、体力のない所は1車種しか開発していなかったに過ぎません。 販売台数が少ない 零細企業だったので 多くのバリエーションなど持てなかった。
スバルは、REX軽はありましたよ!
富士重工って魔訶真面目な車つくりをする会社で トヨタのように70点の作りで良いと言う考えでなく 95点 100点に近いような車作を目指す会社でした。なので部品コストも度返しで コストのかかる車作で値引きも余りできず
半ば利益も少なく儲からない会社でした。しかし出来た車は、品質出来映えは、良いものでした。
現状トヨタの傘下に入ってしまい トヨタ方式のコストダウンを強要され 70点の車作りにさせられつつあります。 富士重工は日産のチェリーやその後継のパルサー、サニーとかを作っていた
からですね。チェリーは愛知機械もだし、バンはいすゞが製造。
当時通産省が日本の自動車産業を保護するとしてメーカーが乱立することを
嫌って中小メーカーを大手に合併させようとしていましたので。
ホンダがその思惑を無視して進出したわけですけど。
トヨタとダイハツと日野、日産とプリンスと愛知機械とかですね。
ダイハツ・コンパーノと日野・コンテッサは実際潰されたわけですが。
富士重工は1950年代に初代クラウンよりも出来が良いということに
なっているスバル1500(P-1)を開発したけれど
量産できる工場・製造設備を確保することも、販売店網の構築も出来ず、
スクーターの工場設備と販売店網がそのま使えるスバル360を作って
乗用車に進出したわけだし。
「どうかと思う」んなら、出資してあげればよかったんじゃないですかね。 レオーネバン4WDは頼りになる車でしたね、当時は4WD少なかったからね
セダンの4駆はトランクの高さが腰位有ったなあ
今みたいなフルタイム4駆じゃなくて切替式パートタイムだったからね
誰も買わんよね
あんな変態車
でもまあ、なかなか味の有る車なんだよね、スバルは。
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