S800が死語になる1970年からNSXが登場するまでの1990
S800が死語になる1970年からNSXが登場するまでの1990年までのあいだの20年間。なぜホンダ Hondaのスポーツ Sportsカーは空白期間だったのですか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1970年から1990年の間て日本は高度経済成長。バブル時代。日本は空前の好景気だったと思うのですが。
よく分からないのですが。
なぜそんな時代にホンダ Hondaはスポーツ Sportsカーが空白期間が20年も続いたのですか。
と質問したら。
シビック CIVICRSがあった。
という回答がありそうですが。
RSてレーシングスポーツ Sportsではなくてロードセイリングなのでは。
それはそれとして。
確かにバラスポCR-Xとかインテグラとかプレリュードとかありましたが。
ですがこの当時はFFはスポーツ Sportsカーとして認められないという定義の時代だったのでは。
1970年から1990年て日本は空前の好景気だったのになぜホンダ Hondaだけスポーツ Sportsカーがなかったのですか。
余談ですが。
例えばマツダならサバンナRX-7。
例えばトヨタ YOYOTAならセリカXX2800GT。
例えば日産ならフェアレディ300ZXとかあったのに。
なぜホンダ Hondaだけは1990年を過ぎるまでスポーツ Sportsカーの登場を待たなければならなかったのですか。
なぜホンダのスポーツカーは空白期間だったのですか。
空白期間
ホンダが満を持して送り出したFRオープンがS2000
1999(平成11)年4月~2009(平成21)年9月 そもそもスポーツカーの定義が何 ? てすよ。
「余談ですが。
例えばマツダならサバンナRX-7。
例えばトヨタならセリカXX2800GT。
例えば日産ならフェアレディ300ZXとかあったのに。」
外見かな ?
7以外は重くて、ノーマルで速い車じゃないですよ
今でこそ人気のAE86も、JAFのクラス分けだとシビックにボロ負けだったりね ワンボックスも造れないラインしかないと言った、クタバリそうなメーカーでした。
3次元金型技術を売ったりしてましたから。
ラインで造れるぎりぎりの高さのオデッセイが、思わぬ大ヒットして息を吹き返しました。
ホンダだけじゃなく、日本メーカーすべて「車体剛性」を知らなかったので、まともなスポーツカー等出来なかったのですね。
「車体剛性」に気が付いて、大きな設備を入れて作ったレジェンドがテストドライバーの乗ったNSXより速かったと言うのは当時の本田では知られた話のようです。
もっとも、レジェンドを運転したのは中島悟だったそうです。 それどころではなかったからね、売れるクルマもないのに数が出ないスポーツカーなど作っていられないよ 車が売れずに経営の危機だったから、そんな余裕はなかっただろう。
初代シビックのヒットで会社が立ち直った。 本田宗一郎が社長を引退し社長が代わりホンダの経営思想が変わったから。本田宗一郎の後を引き継いだ社長2人はFFに力を入れていたから。あと1979年から1983年ヤマハとホンダによる戦争が勃発、お互い総力戦となり双方多大な被害を出し痛み分けに終わり財務改善まで1990年まで掛かったため、スポーツカーの開発費用まで捻出できなかったこともありますね。
更に1968年N360の欠陥による死亡事故もありイメージダウンで売り上げが低迷、高額なスポーツカー投資に踏み切れなかったのもありますね。
ページ:
[1]