てんかんを持っているのに虚偽の申告で運転免許の更新、取得をし死亡事故を起
てんかんを持っているのに虚偽の申告で運転免許の更新、取得をし死亡事故を起こす人がいますよね。私はてんかんを持っています。
免許に関しては適切な手続きを取り持っています。
こう言った虚偽の申告での事故を起こすとてんかんを隠したことへの批判やてんかんの人への批判が集中します。
私が思うのはたしかに隠したことは悪いし、擁護出来ませんが、なぜ嘘をつくことになったのかをなぜ考えないのか?という点です。
私はてんかんであることで差別を多く経験しています。
悔しい気持ちもあり、悲しくあり、怒りもあります。
ふざけるなと言う気持ちからあまりてんかんである事を言いたくないとも思っています。
私の場合は申告する義務があれば申告はしますが、申告して嫌な思いをしたこともあります。
こう言った嫌な思いから言いたくないとなり虚偽の申告がうまれ、事故に繋がるとは考えないのでしょうか?
またてんかんの人は免許を取れないようにしろ。と簡単に言いますがでは取れなくしててんかんの人は車を運転している人と同等のどうやって生活をすれば良いのでしょうか?
自家用車を利用してかかる費用を他の交通機関を利用して同等の費用程度になるのであれば問題ないですが、それは不可能ですよね。
特に地方では車は必須です。
てんかんで薬の費用もかかる。それで車も運転できない。運転できないことで運転している人よりも多くお金がかかるとなるのは納得できません。
虚偽の申告は間違っていますし、これが差別の原因にもなっていることはわかります。
しかし差別を受けることでまたてんかんである事を言いにくくしている。という点はわからないのでしょうか?
つまり悪循環なんです。
てんかんの虚偽申告は間違っている。
それを批判することも間違っている。
批判するということは虚偽申告をせずに適切な手続きをして免許を取得、更新しているてんかん患者に対して傷つける場合があります。
適切に手続きしているのに傷つけていい理由はどこにもありません。 運転免許試験場と全国全ての病院がネットワークで繋がればいいなと思います。てんかんと診断されたのなら、診断された病院がある訳ですよね。名前や生年月日、住所等を入力することで、密に繋がってれば更新や免許証取得の際にピックアップされて更新も取得も出来なくなります。 言いたいことは分かるしてんかんというのも自分はそれを持ってる者数人をしってるからあるていどはどういうものなのかもわかるつもりだ。
で、もしもあなたの母親が、てんかん持ちであるが正規に手続きをして運転をしている者に運転中の発作で運転不能となってその結果の事故被害で生涯寝たきりになったとしても加害者には何ら恨むことはないという前提で、そういう意見は言う必要はあるでしょう。 貴方にとって非常にムカつく回答を致します。
貴方はてんかんだけど、しっかり申告していますと書いていますが
ではてんかんではない人にそれを理解しろって言っても無理です。
例えばてんかん以外に何か抱えてる症状ありますか?
多くの人が腰が痛いとか膝が痛い、片頭痛がするとか。
症状がなければどんな痛みとか分かりませんよね?
だって目に見えないんだから。
正直わたしもてんかんという病気は知りません、急に意識を失うかもって程度の認識です。
では運転中に急に意識失って事故を起こしたとします。
てんかん患者でしっかり申請してますって、通ると思いますか?
一部の理解者以外はだったら運転すんなよとしか言いませんよ。
それが現実だと思います。
またてんかんだから病院代や薬代が人より多く必要とか書いてますが
他の病気抱えてる人だって全く同じです。
また健常者でも免許も車も持ってないって人も沢山居ます。
公共の乗り物で移動し職場にも買い物にも行きますね。
身体的にも金銭的にも問題はないのに免許取らない人なのに
何故でしょう?
必要無いから持たないのです。
そんな人からしたら、たんなる我儘でしかありません。
交通費もどうとか考えるなら
職場や買い物まで徒歩で済む場所に引っ越せば良いのです。 おっしゃる通り、てんかんなどある人に返納した人と同じように公共交通機関を利用するのに優遇される制度があれば少しは変わるかもですね。
今は、虚偽申告するリスクと利益が人によってまちまちなのでそれを、しっかり申告するようなインセンティブを与えることが必要ですよね。
ただ、やはり他人命を奪う危険性がある以上は責任を持って申告する義務はあるとは感じますね。自分の命だけなら好きにすればいいと思いますが、他人の命を奪う可能性が非常に高い場面に遭遇し得る限り、厳正な対応が必要だろうと思ういます。
以上から、虚偽申告する行為自体は批判されるに相応の対象であると思いますが、そうなる前に配慮し、虚偽申告をしないような動機づけを行う政策などの議論はしっかりすべきであると自分は考えます。
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