なぜ昭和の時代はクラウン CROWNにセドリックは対抗できたのですか。・・・・・・・・・
なぜ昭和の時代はクラウン CROWNにセドリックは対抗できたのですか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
230とか330とか430のころのセドリックてなぜクラウン CROWNに対抗できたのですか。
よく分からないのですが。
あの絶対王者だったクラウン CROWNにセドリックごときがなぜ対抗できたのですか。
と質問したら。
暴走族に人気があった。
ヤンキーに人気があった。
という回答がありそうですが。
ですが新車のセドリックをヤンキーとか暴走族は買わないと思うのですが。
それはそれとして。
平成に入ってからの31とか32とか33のセドリックは見る影もないほど没落しましたが。
なぜ昭和の時代はセドリックがクラウン CROWNに対抗できたのですか。
余談ですが。
昭和の時代てそんなにお金持ちが多かったのですか。 230を親が新車で買い乗ってましたが新車で140万位でしたよ、そのあとクラウンも買いましたが、L型エンジンのほうがM型よりも性能はかなり上でした、当時は内装のトヨタ、エンジンの日産と言う言葉があるくらいですから。 昭和は、車しかお金使う所がなかっただけ。
今は、車は故障なく走ってくれたらいいだけです。
車よりお金使う事が多いのが普通です。 新車からドアを開けた時にドアが落ちるクルマなんて買わないよね。そうなクルマが当時日産ではごく普通に売られてました。(ドアがトヨタ車に比べて重いので仕方ない部分もありますけどね。)トヨタ車ではそんなこと起きないけどね。高いクルマ買うのに信頼性が低いメーカーのクルマを買う人は少ないですよね。
当時、セドリックは大幅値引きによりクラウンは買えないけどセドリックなら買えると言う庶民層が新車を購入してましたね。セドリックは妥協して買うクルマでした。
日産車はエンジンは良いがクルマ全体の作り込みが甘いため日産車ではトヨタに対抗出来ないかと。特にマツダ車は作り込みが更に酷く手が切れる位のプラスチック部品のバリが出たまま組付けられて販売されてましたね。今のマツダは作り込むがかなり良いですけどね。当時は酷かったです。 性能的に均衡してました。
少なくともクラウンは『絶対王者』などというクルマではなく、性能でもセールスでも、セド/グロに抜かれた時期もありました。
特に230~330の頃、高速安定性は日産の方が優れているとされ、クラウンを使いたがらない個人タクシーも少なからずいました。(実は当時のクラウンの特徴でもあるセパレートフレームが操縦安定性に悪い、などとも言われました。)
それに内装。
アメ車的なゴーヂャスな内装が高級車だと思われていた時代、淡いグレーの縦糸のモケット張りシート(銀色に見えました)を装備したピラーレスハードトップなど、クラウンとは比較にならない豪華さでした。(通常の室内灯の他に、青白く光るシャンデリアの様な照明さえあったぐらいです。)
・・・良くも悪くも、セドリック史上日本人の高級車感に最もマッチしていたの330だったと思います。実際セールスも好調で、クラウンは『クルマのことが良く判ってない者が、トヨタ車だからという理由で買うクルマ』などと言われたぐらいです。 太陽にほえろ、は12クラウンまで、大都会、西部警察は430まで?危ない刑事とY30重なってる?、その後太陽にほえろは13クラウンほぼ使ってないんじゃないか?マーク2ツインターボやら20ソアラ使ってたから、??しかし、13クラウンは売れたがシーマが出てきて終わったんじゃ?一応セドリックシーマ、グロリアシーマだからY31でも勝ってる。
理由は西部警察でたくさん壊したからその分生産したんだとおもう。 少なくとも、セド・グロのが中古車は安かったな。
売る時安いのが分かってるのにセド・グロを選ぶんだから、余程好きかオプションなどで安く成ってたんだろうか?
ページ:
[1]